
上善は水の如し。
「上善は水の如し」とは、中国の有名な古書「老子」が出典の故事成語です。
「理想的な生き方とは “水” のようであることだ」という意味の言葉です。
水のように生きるとは、どういうことかなと考えましたが、中庸に生きるということではないかと思います。中庸とは「かたよることなく、常に変わらないこと。そして過不足がなく調和がとれていること」ですが、平均をとるということではなく、バランスのとれた状態ということです。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスも、「幸福になるためには中庸が重要になる」と言っています。
何事も行き過ぎてはいけないし、また不足であってもならない。幸福な状態はその中間、つまり中庸にある。快楽については、耽溺と鈍感との中間が節度と呼ばれる。徳とは、我々にとって中庸である行為を選択する態度である。(アリストテレス)
中庸な人とは?
中庸な人とは、極端にポジティブでもなく、極端にネガティブでもない、両方の良い点を自分軸に取り入れている人だと思います。(ポジティブの前向きと、ネガティブの慎重さなど。)
- 物事を白黒つけず中立な立場でいる
- 常に客観的に物事を捉え感情的にならない
- どんな時も平常心で穏やかでいられる
- 何が重要なのかを冷静に判断できる
- 結果を気にせずにチャレンジする
結果を気にしない
中庸に生きるということで大事なのが「結果を気にしない」ということです。これは意外と難しいことですが、これを習慣づけることで、すごくラクに生きられるようになります。「自分が一生懸命やったことだから、ぜったいに良い評価をもらえる」と期待してしまうと、結果にショックを受けることもあるかもしれません。「自分が一生懸命になれて良かった!」でいいんですよ。一生懸命になれること自体が凄いことなので、結果なんか「良かったら儲けもの」ぐらいにとらえればいいんです。
「期待しない」というのは、一見ネガティブなことのように思えますが、実はかなりポジティブなことです。期待するというのは「待つ」という行為になります。期待して結果を待ち、もし残念な結果だった場合のショックは大きいですよね。もし結果に期待せずに、次へ進んでいた場合は、その結果によるショックの度合いは低いように思います。そして結果に執着しないことで、視野が広がり自分の行動力が上がります。いい結果が出た場合は「儲けもの」ぐらいにとらえ、物事に執着せずに前へ淡々と進んでいく。これ意外にラクな生き方なんですよ。
感謝の気持ちを持ちながら、他人にも物事にも過度な期待をせず、信頼関係を築いて生きる。たった1つの自分の気持ちの持ちようでこれからの人生が豊かになります。こだわらず、そしてとらわれず、これからの人生を清々しく水のように生きていきましょう。Let's tryです。